そこで、用水路の建設に着手。土木建築の素人の彼は、
現地の人々とともに何度も困難に見舞われながら、研究し用水路の建設を成し遂げました。
現地の人々と力を合わせて、建設
用水路は完成 壊れない斜めの取水口
草一本も生えない砂漠を森に変え、緑野に変え、畑に変えた。
「自分の人生がすべてこのために準備されていたのだろう!」 (中村)
2019 年 12 月 彼は何者かの凶弾で命を奪われた。
「わたしの後継者は、この用水路だ!!」 中村哲
第2部 谷津賢二監督のお話
21年間、中村医師の活動を密着取材し続け、その生きざまと向き合ってきた
ーー監督のお話よりーー
・地の果て, 辺境の地ヒンズークシ山脈の山中に住む医療も薬もない地域へ、巡回診療キャラバンを
実施。 病気の事だけでなく、その置かれた生活環境を含め現地の人々と、よーく話をして深い心の
の絆、通い合いを共有していた。 勿論、無償の医療。 本当に、
“仁者“だった。
・普段は一見風采のあがらないおじさん。でも、一旦診療が始まったり、用水路建設にあたる時、彼の
眼は鋭く気迫に満ちた表情に変貌する。
・用水路が完成して数年経ったある日、この地域を未曽有の豪雨が襲った。用水路にも大量の
水が鉄砲水として襲い氾濫する危険が迫り、65万人以上の村々の人々の命が危険にさら
されていた。
中村医師は状況を真剣に受け止めて言った。
「パワーシャベルを用意してください。川に入って
堤を壊し、用水路の水を抜いて村を守りたい」
工事仲間は「こんな状況で、川に入ったらパワー
シャベル毎流されます」と言って彼を強く引き止めた。 すると彼は穏やかに、
「
私は、アフガンと用水路の為なら、死んでもいい。 あなた達はアフガン人でしょう。
村を守るためにやるべきことがあるのではないですか?」 皆はこの言葉に雷のように
強く心を打たれた。 彼は身を挺して村を守った。
アフガンでは、
“正しく勇敢な人”が、この上なく尊敬される。彼の噂は瞬く間に
アフガンじゅうに広まった。まさに彼はアフガンの人々から敬愛される英雄だった。
後日、中村医師にこのことを確認したところ、「えっ?そんなこと言いましたかな??」
ととぼけていた。彼は武勇伝や功績なんか話すつもりはなく、
“黙して語らずの人だった”。
・彼は聖人君主のような人では決してなく、穏やかで素朴な正義感、倫理観、ユーモアにあふれた方。
・彼はクリスチャンだが、愛読書は中国の古典とクレヨンしんちゃん。 モーツァルトとバッハが好き。
・座右の銘は
「一隅を照らす」(最澄の言葉)
他者とどう関わって生きるのか? 他者のためにどう生きるか? を自問していた。
「一人一人おかれた場所で、自分は何ができるかを考えることが大切。」
・彼は、私たちと同じ時を共有した日本人。 考えさせられます。
・中村医師は、見上げるといつもそこにいる、
北極星のような方。
最後に青梅市国際理解講座受講生の平山優花さんから花束が渡されました
お話し後の監督のサイン会はかつてないほどの大盛況 公式プログラム販売も行われました
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皆さんから寄せられた感想
・すごいイベントでした。すべての聴衆の皆さんが感動したように思います。
・映画冒頭から監督のお話まで、終始感動で目をはらしていました。
・中村哲医師の生きざまに圧倒されました。自分でも何か行動したくなりました。
・中村医師の思いを忘れないために、一年に一度は見たい映画です。
・昨年は、藤原紀香さん、今年は中村医師、来年が楽しみです。
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